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消滅の危機に立つアラル海探訪記(下)
船の墓場を訪ねる

干上がった湖底に置き去りされた漁船の残骸

かつて10万人が住む漁村の村として栄えていたが・・・

 アラル海の日の出を見た後、ガイドは朝食の準備を始めた。チーズ、ソーセージ、レーズン、グリーンティ、ヨーグルトを並べた後、ガイドが平べったいパンをちぎってくれた。午前6時半、テントをたたんで船の墓場に向かった。昨日同様、干上がったデコボコの砂丘の湖底を3時間程走りムイナック村に着いた。破壊される以前のアラル海の中心地のひとつだったところだ。ガイドもこの村の出身だった。漁業が盛んだった1940年代の最盛期には、ムイナック村を中心とする周辺地域には漁業従事者など約10万人が住んでいた。2000人を超える漁民が300〜400艘の船を操り、年間4〜5万トンの漁獲高があった。魚加工工場もあった。それが今では人口が1万人を割ってしまった。

名産のキャビア工場も夢の跡

 一方、アラル海の北側にある漁港の町、アラリスク(カザフスタン側)には最盛期、約9万人が住み、アラル海最大の魚加工工場があった。常時3〜5千人の労働者が食肉加工に従事し、名産のキャビアや缶詰を生産していた。最盛期に19カ所あった加工工場が70代半ばには18カ所閉鎖という惨憺たる状態に追い込まれた。ムイナック村同様人口も急減してしまった。

笑顔の子どもたち、だが男の姿はなかった

 ムイナック村は平和そうに見えた。三つの高校があり、訪れた5月25日(月)はたまたま小学校の夏期休暇を前にした終業式の日だった。ウズベキスタンは6月から8月にかけて日中の気温が40度近くまで上昇するため、明日から3ヶ月の長期休暇に入るそうだ。道路沿いの小学校では校庭に風船や白、黄、緑の三色旗(ウズベキスタンの国旗の色)を掲げ、笑顔の子供たちが賑やかに談笑していた。道路沿いには、子どもたちを迎えにきたお母さんやおばあちゃんの姿が見られた。どこでも見られるような風景だが、男たちの姿はなかった。「ほとんどの男たちはタシケントなどの都市部に出稼ぎにいっている」とガイドが説明してくれた。

船の墓場を見る

 村を通り抜け、20分ほど走ると湖岸に出た。1960年初め頃はこの辺りは満々たる水が波打っていたという。ところどころに雑草と雑木が生えている乾涸びた湖底の砂原をさらに少し進むと、アラブ海の変貌を示す記念碑に到着した。記念碑には破壊される以前と破壊された後のアラル海の姿が立て看板に描かれていた。60年代初めには世界第4位だったが、今では消滅寸前まで縮小している姿が展示されている。記念碑から20mほど下の砂原の湖底には、10数艘の廃船が集められていた。船の墓場である。かつてアラル海を縦横に動き回った漁船も水がなければ動くに動けない。漁船の成れの果てに心が痛む。

塩害による健康被害も深刻

 アラル海の縮小は周辺住民から漁業という生活の糧を奪っただけではない。地域住民の健康にも大きな被害を与えている。80年代に入ると、体力の衰えた老人や赤ん坊の死亡率が急激に増えてきた。乾燥した湖底には砂嵐が頻繁に発生するようになり、それを吸い込んだ老人や赤ん坊が気管支炎や食道ガンになって死んでいった。さらに塩を大量に吸い込むことで結石や腎臓病が蔓延し、アラル海沿岸に暮らす全住民の8割近くが何らかの障害を抱えるまでに至った。90年代に入り、アラル海沿岸の健康被害が知られるようになり、日本を含む世界各国の援助が始まったが、成果はあまりあがっていないようだ。

悲観的なアラル海の将来

 アラル海はどうなってしまうのだろうか。
 91年のソ連崩壊後、アラル海はカザフスタンとウズベキスタンの2国に分断された。カザフスタンを流れるシルダリヤ川は現在でもアラル海に流れ込んでいる。このためカザフスタン領のアラル海(小アラル海)を残すため、ウズベキスタン領のアラル海(大アラル海)に水が流れないようにするため、大小アラル海の間に堤防が建設された。この結果、小アラル海の水位は徐々に回復してきている。一方、今回訪問した大アラル海は有効な対策が打ち出されていない。回復のためにはアムダリア川の灌漑用運河の一部を取り壊し、アラル海まで流れを取り戻すことが必要だが、ウズベキスタン政府は、そこまで踏み切れないようだ。このため、近い将来、大アラル海は消滅せざるをえない、との見方が支配的である。

 アラル海に流れる二つの川の水量と砂漠気候の中で大量に蒸発する水量が均衡を保って、6千万年以上も維持されてきた古代湖が、ソ連・スターリン時代の無謀な「自然改造計画」によって、かくも短期間に徹底的に破壊されてしまった悲劇を私たちは次世代に語り継いでいかなくてはならない。

(2015年6月28日記)

 
 
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